旭山動物園の歴史

日本国内で一番寒い地域である北海道には、動もの園が出来るのが極めて遅かったといわれています。
それは、動もの園が前もって東京などの大都市にだけ建てられていたからです。
但し、その後日本がやけに潤ってきて、地方都市に動もの園がたくさん建てられるようになったことで旭山動もの園が誕生しました。
旭山動もの園が開園したのは、1967年のことです。
今からとうに40年以上前ということになります。
ちょうどそのころ、旭川市内で路面電車が運行していたのが大きな決め手になったそうです。
因みに、今はこれからその路面電車はありません。
開園したばかりのころの旭山動もの園は、今のような特色は無く普通の動もの園でした。
でも、旭川市が発展するに従って入園者数は増加していきました。
ただし、1980年代になると、他の娯楽が発達したことで入園者数が減少していきました。
動もの園自体が下火になっていた時代です。
そういう流れを切り捨てるべく、旭山動もの園ではひとつの物珍しい試みを行います。
それは「行動展示」という展示方法です。
1997年に行動展示への変更に着手し、同年度にその第1弾と罹る「ととりの村」が完成すると、日本でも例の低い展示形態が多くの人に盛込みられ、旭山動もの園の入園者数はあっという間に増加しました。
そうして2000年代に入ると、北海道ならではの「ペンギン館」や「ほっきょくぐま館」「あざらし館」が誕生します。
とにかく「あざらし館」は、あのか細いパイプのような水槽がたくさんテレビで取り上げられて、大きな話題になりました。
それによって入園者数が激増し、旭山動もの園は日本でも3本の指に入る人気動もの園となったのです。